完封勝利数 都道府県別ランキング(1990年~1999年)

コラム

第1位 大阪府 12勝

1990年選抜2回戦 近大付 1-0 東北 投手:後藤

1991年選抜1回戦 大阪桐蔭 10-0 仙台育英 投手:和田

1992年夏1回戦 近大付 5-0 松商学園 投手:森岡

1993年選抜準々決勝 上宮 3-0 東筑紫学園 投手:吉川

1993年選抜決勝 上宮 3-0大宮東 投手:牧野

1994年選抜1回戦 PL学園 10-0 拓大一 投手:宇高

1994年選抜2回戦 PL学園 4-0 金沢 投手:光武

1994年選抜1回戦 北陽 3-0 桐蔭学園 投手:嘉瀬

1996年夏1回戦 PL学園 4-0 旭川工 投手:前川

1997年選抜2回戦 上宮6-0 明徳義塾 投手:山田

1998年選抜2回戦 PL学園 9-0 創価 投手:上重

1999年選抜準々決勝 PL学園 6-0 平安 投手:植山

 

1980年代終盤に入ってそれまで無敵を誇っていたPL学園の力がやや落ち始めると、それまでPLに頭を押さえつけられていた強豪校が軒並み甲子園に顔を覗かせ始める。

上宮は1988年から台頭し始めると、1989年の選抜で準優勝。東邦に逆転サヨナラ負けを喫して優勝は逃したが、その4年後の1993年の選抜で、小柄な左腕・牧野と不調から復活したエース吉川の2本柱を軸に悲願の全国制覇を達成した。2人ともそれぞれ完封勝利を挙げ、優勝に貢献している。

また、1997年にはエース山田(巨人)と建山の2枚看板を渡辺(ロッテ)、三木、多井らの強力打線が援護。練習試合も含めて選抜準決勝まで無敗の快進撃を見せた。だが、この時の出場が現在のところ最後となっている。

上宮と同じく昭和の終わりから快進撃を見せたのが、近大付。1988年から3年連続で選抜に出場し、1990年はエース後藤の好投を4番犬伏(西武)と中心とした強力打線が支えて悲願の全国制覇を果たした。2回戦では明治神宮大会優勝投手である東北・加藤(横浜)との息詰まる投手戦を1-0と僅差で制し、優勝へ向けて大きな弾みをつけた。

その翌年に初出場初優勝を果たしたのが今を時めく強豪の大阪桐蔭。大産大付の兄弟校として誕生した新星は、部誕生当時からスカウトの熱心な勧誘もあって、好選手が集まっていた。当時は大阪府内はPL人気が強かったが、それに対して反骨心を持った選手たちが、1991年夏に見事栄冠を勝ち取った。また、選抜ではエース和田が2年前の夏の準優勝校の仙台育英を相手にいきなりノーヒットノーランを達成。デビュー戦もなんとも鮮烈であった。

そんな他校の台頭に対し、王者・PLも黙ってはいない。スラッガー福留(中日)を中心に1994年選抜では4強、1995年夏は8強と着実に力を示すと、1996年はエース左腕・前川(近鉄)が一人で大阪大会を投げ抜き、甲子園初戦でも完封勝利を挙げた。その2年後が、あの横浜高校と延長17回の死闘を演じた代であり、優勝こそ逃したが、「PL健在」を全国にアピールした年となった。

PL時代から大阪桐蔭時代へと流れる過程にあったこの10年間がある意味最も大阪内の争いが熾烈で極めた時代だったかもしれない。

【好投手列伝】大阪府篇記憶に残る平成の名投手 1/5 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第2位 神奈川県 10勝

1990年選抜1回戦 日大藤沢 14-0 高知 投手:荒木→山来

1992年選抜2回戦 東海大相模 4-0 南部 投手:吉田

1992年選抜準々決勝 東海大相模 2-0 PL学園 投手:吉田

1993年夏2回戦 横浜商大 10-0 新潟明訓 投手:福田

1998年選抜2回戦 横浜 3-0 東福岡 投手:松坂

1998年選抜準々決勝 横浜 4-0 郡山 投手:松坂

1998年選抜決勝 横浜 3-0 関大一 投手:松坂

1998年夏2回戦 横浜 6-0 鹿児島実 投手:松坂

1998年夏3回戦 横浜 5-0 星稜 投手:松坂

1998年夏決勝 横浜 3-0 京都成章 投手:松坂

 

この時代はなんといっても横浜高校の松坂大輔(西武)になるだろう。前年まで大会出場投手のMAXは140キロ前半だった時代にあって、選抜大会でいきなり150キロをマーク。ストレートのスピードだけで実力を測れるわけではないが、彼の場合は高速スライダーにキレのあるカーブも一級品。さらに、フィールディング、スタミナも含めて全てにおいて完成された投手であった。

彼の出現は、大げさでなく高校野球界のレベルを大きく引き上げただろう。実際、150キロを投げる投手が出現したら、練習でのバッティングマシンのスピードも上げざるを得ない。また、この年の横浜はことごとく関西勢を中心とする西日本勢を撃破。それまでの数年間は首脳陣も対西日本勢アレルギー(1992年新野、1993年上宮、1994年智辯和歌山、1996年大阪学院大高)があったとのことだが、この一年間だけで10連勝し、一気に苦手意識を拭い去った。

松坂の出現までは絶対的な存在が不在の状況が続いた神奈川県だったが、1992年選抜の東海大相模の快進撃が最も印象深い。エース吉田(近鉄)は快速球を武器に2試合連続完封を達成。当時2年生だった松井稼頭央(西武)を擁した、高校球界の王者・PL学園も4安打でシャットアウトした。激戦区だけあってなかなか出場の機会に恵まれなかったが、出てくるとさすがの強さを見せた。

大会No.1投手(1992年選抜) 吉田道(東海大相模) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

大会No.1投手(1998年選抜) 松坂大輔(横浜) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】神奈川県篇記憶に残る平成の名投手 2/5 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

 

第2位 東京都 10勝

1991年選抜1回戦 国士舘 13-0 瓊浦 投手:菊池

1991年選抜2回戦 国士舘 1-0 瀬戸内 投手:菊池

1991年夏2回戦 帝京 13-0 坂出商 投手:豊田→田中

1992年選抜1回戦 帝京 1-0 日高 投手:三沢

1993年夏1回戦 堀越 1-0 西条農 投手:平山

1993年夏1回戦 修徳 2-0 岡山南 投手:高橋

1993年夏2回戦 修徳 2-0 甲府工 投手:高橋

1995年夏3回戦 創価 6-0 下関商 投手:大木

1995年夏準決勝 帝京 2-0 敦賀気比 投手:白木

1998年夏1回戦 桜美林 5-0 敦賀気比 投手:高橋

 

1990年代に入って東東京勢が優位な状況となった。選抜では初出場からベスト4、ベスト4、ベスト8と3大会連続で好成績を残した国士舘、好左腕・高橋尚(巨人)を擁して連続完封勝ちを収めた修徳、剛腕・大木を中心に3季連続出場を果たした創価(創価は西東京)がそれそれ甲子園を席巻したが、やはりこの時代の主役は帝京であった。

平成に入って7年間で3度の全国制覇を達成した東の横綱・帝京。この頃はスパルタ全盛の時代であり、前田監督は至近距離のノックをはじめとして、現代ならコンプライアンスに問題が出そうな勢いの猛練習でナインを鍛え上げた。当時から食トレも行っていた帝京ナインは、他校を圧倒する体格の良さと厳しい練習で鍛え上げられたメンタルの強さで全国大会を勝ち上がった。

1992年選抜ではエース三沢の好投に打線が応え、決勝では東海大相模との首都決戦となったが、最終回の劇的なバックホームによる補殺で制し、選抜初優勝を決めた。特筆すべきは1995年夏。前田監督の厳しい指導にボイコットが発生し、3年生が4人を残して全員退部。さらに都大会や甲子園初戦での戦いぶり(詳細は割愛)で外部からのバッシングもあったが、そんな内も外も崩壊しかねない状況でも下級生主体の帝京ナインはきっちり勝ち上がり、2度目の夏全国制覇を果たした。

よく5打席連続敬遠で松井秀喜(ヤンキース)を擁する星稜に勝利した明徳義塾がヒールと謳われるが、様々なバッシングにもめげることなく優勝まで果たしたこの年の帝京こそ、本物のヒールであり、この時代の最強の王者だったと言えるのではないだろうか。

【好投手列伝】東京都篇記憶に残る平成の名投手 1/5 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】東京都篇記憶に残る平成の名投手 2/5 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第4位 福岡県 9勝

1990年夏2回戦 西日本短大付 8-0 桜井 投手:中島

1992年夏2回戦 西日本短大付 2-0 高岡商 投手:森尾

1992年夏3回戦 西日本短大付 3-0 三重 投手:森尾

1992年夏準決勝 西日本短大付 4-0 東邦 投手:森尾

1992年夏決勝 西日本短大付 1-0 拓大紅陵 投手:森尾

1994年選抜1回戦 小倉東 5-0 石山 投手:西

1995年夏2回戦 柳川 4-0 享栄 投手:花田

1996年夏1回戦 東筑 2-0 盛岡大付 投手:石田

1998年選抜2回戦 東福岡 5-0 出雲北稜 投手:村田

 

1988年から5年連続で夏8強以上を果たした福岡代表。その中でも名将・浜崎監督に率いられた西日本短大付の戦いぶりは際立っていた。1990年夏にはサイド右腕・中島を擁して4強に進出。3試合連続ホームランを放った強打者・松本を擁した宇部商や、大会No.1スラッガー内之倉(ダイエー)を擁し、V候補筆頭だった鹿児島実に見事競り勝った。

そして、西短史上最高峰のチームだったのがやはり優勝した1992年のチームだろう。抜群のコントロールで4完封を果たした森尾の投球も素晴らしかったが、打球方向を予測した高度なポジショニングで相手のヒット性の打球を阻んだ守備陣も素晴らしかった。選抜8強の三重や激戦を制し続けた東邦、大型打者の並んだ拓大紅陵と攻撃力の高いチームを相手に成し遂げた完封劇は非常に価値が高かった。

その後も小倉東・西や柳川・花田(ヤクルト)、東福岡・村田(横浜)など多くの好投手が完封勝利を達成。プロ野球選手を大阪府に次いで多く輩出する福岡県は、ダイヤの原石とも言える逸材が多く、その逸材を小さくまとめずにスケールの大きな選手に育てる土壌があるのかもしれない。

【好投手列伝】福岡県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】福岡県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第5位 鹿児島県 8勝

大会No.1投手(1996年選抜) 下窪陽介(鹿児島実) – 世界一の ...

1990年選抜2回戦 鹿児島実 4-0 川西緑台 投手:上園

1990年夏1回戦 鹿児島実 9-0 日大山形 投手:上園

1993年選抜3回戦 鹿児島商工 4-0 東北 投手:福岡

1993年夏2回戦 鹿児島商工 3-0 堀越 投手:福岡

1996年選抜2回戦 鹿児島実 2-0 滝川第二 投手:下窪

1998年夏1回戦 鹿児島実 4-0 八戸工大一 投手:杉内

1999年夏1回戦 樟南 4-0 秋田 投手:上野

1999年夏準々決勝 樟南 4-0 青森山田 投手:上野

 

1990年代に入ってまず躍進したのが鹿児島実。エース上園、4番内之倉(ダイエー)と投打に太い柱を擁し、春夏とも完封勝利を収めて8強入り。ともに準々決勝で惜敗したが、鹿児島勢初の全国制覇を果たしてもおかしくない好チームであった。

その後、1992年からは鹿児島商工が勝ち上がり始める。1993年は福岡-田村(広島)の2年生バッテリーを中心に、2回戦では堀越に降雨コールド勝ち。しかし、続く3回戦ではV候補筆頭の常総学院を相手にリードを奪いながら降雨ノーゲームとなり、再試合で0-1と敗戦を喫した。まさに雨に笑って雨に泣いた夏となった。

翌年バッテリーが最終学年を迎え、危なげなく決勝まで勝ち上がるも最後はミラクル佐賀商の満塁弾に屈し、準優勝。実力は高いにも関わらず、どこか悲劇的な印象が強いチームであった。その5年後の1999年には上野(広島)-鶴岡(日本ハム)を中心に再び堅守のチームで4強入り。5試合で失った点はわずか4と樟南らしい手堅いチームであった。

ライバル樟南に先に決勝進出を決められた鹿児島実だったが、1996年選抜でついに大旗を手にする。

1990年~1991年にかけて4季連続で8強以上に勝ち上がりながら打ち負ける展開が続き、打撃のチームでは優勝は厳しいと感じていた久保監督。そんな中、下窪(横浜)-林川のバッテリーを中心としたチームは5試合で7失点の安定した守備をベースに常に主導権を握る野球で優勝。5試合で15得点は最近の優勝校としては少なかったが、まったく不安を感じさせない戦いぶりだった。

その後、1996年から1998年までは3年連続で夏の代表の座を獲得。1998年にはエース左腕・杉内(ソフトバンク)が八戸工大一を相手に無安打無得点を達成し、名門校に新たな勲章をもたらした。2000年代に入って神村学園などが台頭してきたが、今も鹿児島実・樟南の両校は鹿児島県内で大きな存在感を示している。

【好投手列伝】鹿児島県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第6位 奈良県 7勝

1990年夏3回戦 天理 6-0 仙台育英 投手:南

1990年夏準々決勝 天理 7-0 仙台育英 投手:南→谷口

1990年夏決勝 天理 1-0 沖縄水産 投手:南

1992年選抜1回戦 天理 1-0 米子商 投手:西岡

1995年夏2回戦 智辯学園 10-0 高岡商 投手:池田→木挽

1996年夏1回戦 天理 6-0 日大東北 投手:清水

1997年選抜2回戦 天理 7-0 浜松工 投手:小南

 

1986年に奈良県勢として初優勝を果たした天理。その4年後、南(日本ハム)、谷口(巨人)と190㎝以上の長身右腕2人を擁したビッグチームが2度目の栄冠を手にする。2回戦の成田戦では7回途中まで無安打に抑えられたが、橋本監督の「ぼちぼち行こか」の一言で打線が奮起して逆転勝ち。これで勢いに乗ったチームは、不祥事による監督交代というアクシデントも乗り越えて優勝を手にした。

初優勝時もエース本橋のけがを乗り越えて優勝しており、逆境が立ちはだかった時に優勝するイメージのついた天理。1997年選抜でもその伝統は生きており、再び不祥事があったが、大会前の下馬評をかわして快進撃を見せた。初戦で四国王者・徳島商にサヨナラ勝ちして勢いに乗ると、小南・長崎(ロッテ)の左右の両輪が交互に完投して勝ち抜き、決勝では伝統校・中京大中京を寄せ付けずに快勝。選抜では初となる栄冠を勝ち取った。

これに対してライバル智辯学園も1995年に池田・木挽の左右2枚看板を中心に4強入り。初戦で完封発進を果たすと、準々決勝では福留孝介(中日)を擁したPL学園に堂々打ち勝った。この大会での優勝はかなわなかったが、この時に4番を務めた小坂監督が率いたチームが2016年の選抜で初優勝を達成した。

大会No.1投手(1990年夏) 南竜次(天理) – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】奈良県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第6位 千葉県 7勝

1991年夏1回戦 我孫子 5-0 米子東 投手:荒井

1992年夏3回戦 拓大紅陵 2-0 佐世保実 投手:杉本→多田→富樫

1993年夏2回戦 市立船橋 2-0 三本松 投手:小笠原

1995年選抜準々決勝 銚子商 2-0 前橋工 投手:嶋田

1995年夏2回戦 銚子商 3-0 高知商 投手:嶋田

1999年夏1回戦 柏陵 2-0 如水館 投手:清水

1999年夏3回戦 柏陵 6-0 旭川実 投手:清水

 

平成に入ってからも、毎年のように代表校が入れ替わる激戦区・千葉。しかし、そのかわるがわる出てくるチームがことごとく勝ち上がってくるのが千葉県のレベルの高さを証明している。

1991年夏は我孫子が、監督との親子鷹で注目されたエース荒井(日本ハム)の好投でベスト16に進出すると、続く1992年には拓大紅陵が4投手を巧みに使い分ける継投策で初めて決勝に進出。複数投手制の必要性が叫ばれた元年に、新しい時代に即したスタイルで結果を残した。

その後、1993年には市立船橋がエース左腕小笠原(中日)の好投で4強入り。この他校の快進撃に刺激を受けたか、1995年に伝統校・銚子商が意地を見せた。選抜で福留(中日)を擁するPL学園に初戦で競り勝って勢いに乗ると、エース嶋田の準々決勝での完封勝利もあって決勝まで進出。観音寺中央に敗れはしたものの、選抜では初となる準優勝を果たした。

その後、市立船橋が3年連続出場を果たして一時代を築いたが、その流れを食い止めたのがたたき上げの好チーム柏陵であった。名将・蒲原監督に率いられたチームは、カーブが持ち味の好左腕・清水の快投で8強入り。清水は3試合でわずか1失点と3回戦まではほとんど付け入るスキを与えなかった。決してタレントが揃っていたわけではなかったが、練習で鍛えに鍛え上げて強くなったチームであった。

【好投手列伝】千葉県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】千葉県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第8位 香川県 6勝

1990年夏3回戦 丸亀 1-0 平安 投手:福家

1992年夏1回戦 尽誠学園 1-0 帝京 投手:渡辺

1992年夏2回戦 尽誠学園 7-0 能代 投手:渡辺

1992年夏準々決勝 尽誠学園 5-0 広島工 投手:渡辺

1995年選抜2回戦 観音寺中央 6-0 東海大相模 投手:久保

1995年選抜決勝 観音寺中央 4-0 銚子商 投手:久保

 

公立校の代表が多かった香川県において昭和後半から台頭してのが尽誠学園であった。関西からの野球留学生を受け入れたチームは、賛否両論はあったものの、着実に甲子園で結果を残し始める。1989年にエース宮地(西武)を擁して4強入りすると、その快進撃を見て入学した学年が1992年に再び快進撃を見せた。

好右腕・渡辺を擁したチームが初戦で対戦したのは選抜王者の帝京。好投手・三沢(近鉄)と毎試合2桁得点を記録した強力打線でV候補の筆頭とみられていたが、渡辺はスライダーを軸に丁寧な投球で4安打完封勝利を果たす。この年からラッキーゾーンが撤廃されており、例年ならホームランになるような飛球を何本も浴びたが、渡辺はしのぎ切った。この大会3完封をマークして再び4強入りした尽誠学園は強豪校として認知された。

その3年後、阪神淡路大震災の直後に開催された大会で優勝を飾ったのが観音寺中央。丸亀商を率いて何度も甲子園を経験した橋野監督に率いられたチームはエース久保の快投や2年生スラッガー大森の3ホームランの活躍もあってあれよあれよと勝ち上がった。久保は伸びのある速球を武器に、東海大相模・銚子商と関東の強豪2校を完封した。香川の公立校のさわやかな快進撃は、被災地に勇気を与えるものであった。

【好投手列伝】香川県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第9位 茨城県 5勝

好投手列伝】茨城県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の ...

1993年夏3回戦 常総学院 1-0 鹿児島商工 投手:倉

1994年選抜1回戦 常総学院 3-0 岡山理大付 投手:清本

1994年選抜2回戦 常総学院 2-0 高知商 投手:清本

1994年夏2回戦 水戸商 1-0 盛岡四 投手:森田

1999年選抜2回戦 水戸商 3-0 日大三 投手:三橋

 

1987年夏にエース島田(横浜)を擁して初出場で準優勝を果たした常総学院。その後は勝ち上がれない時期が続いたが、1992年に2年生主体のチームで出場を果たすと、ここからまた第2の黄金期を迎えていく。

1993年にはエース倉や主砲の金子誠(日本ハム)、根本が成長し、選抜では宇和島東の剛腕・平井(オリックス)を打ち込んで1勝をマーク。優勝候補の筆頭として臨んだ夏の大会は、2回戦で選抜優勝の上宮を下して勝ち上がってきた近大付にも4-1でそつなく勝利を収めた。さらに、3回戦では鹿児島商工に0-4と劣勢の展開になるも、降雨ノーゲームで救われ、再試合を1-0と僅差で勝ち上がった。

ただ、準決勝で春日部共栄の強力打線に序盤、倉がつかまってしまい3-5と惜敗。優勝旗まで後2勝届かなかった。その翌年の1994年春は前のチームと比較して前評判は高くなかったが、右サイド右腕の清本が2試合連続の完封勝利を達成。常総の投手らしく、テンポとコントロールで相手打線を封じ込め、前年夏を超える準優勝を成し遂げた。

その常総学院が大本命だった1994年夏の茨城大会を制したのは伝統校・水戸商。エース森田の力投でこの夏ベスト8まで勝ち上がると、その5年後の選抜では関東5校目の選出ながら快進撃を見せる。右アンダーハンドの好投手・三橋が持ち味を発揮して、2回戦では日大三の強力打線を完封。打線も試合を重ねるごとに調子を上げ、あれよあれよと勝ちあがって準優勝を成し遂げた。見た目の派手さはないが、勝負強さを秘めた好チームであった。

【好投手列伝】茨城県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

【好投手列伝】茨城県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第9位 石川県 5勝

1992年選抜2回戦 星稜 4-0 堀越 投手:山口

1992年夏1回戦 星稜 11-0 長岡向稜 投手:山口

1994年選抜1回戦 金沢 3-0 江の川 投手:中野

1995年選抜1回戦 星稜 4-0 三重 投手:山本

1995年夏2回戦 星稜 3-0 県岐阜商 投手:山本

 

平成に入って星稜・金沢の伝統校2校が完全に覇権を分け合うようになった石川県。両校とも投手を中心に手堅く守る野球が持ち味であり、エースの投球が甲子園で光を放った。

1991年から1992年にかけて星稜のエースを務めた左腕・山口は入学時から主砲・松井秀喜(ヤンキース)とともにチームの軸として山下監督に期待をかけられた。2年生時はスローカーブを武器とした緩急が持ち味であったが、最終学年になるとストレートの球威・スピードともに増し、力勝負でも封じ込められるようになった。

神宮大会では見事優勝を飾り、選抜では2回戦で堀越のエース山本との投げ合いに勝ち、松井のホームランも出て4-0と快勝。ベスト8で敗退したが、星稜史上で最も前評判の高いチームだっただろう。最後の夏に5打席連続敬遠で敗れた試合では、山口は自ら3安打を放ってチームを鼓舞。最終回の意地の3塁打は見るものの心を熱くした。

その戦いぶりを見て入学した世代が星稜史上最高成績を残したのが、1995年夏。2年生エース山本は1年秋から前日本代表の選ばれた逸材であり、左スリークオーターから繰り出す切れのあるボールを武器に、春夏ともに初戦は完封発進を遂げた。選抜は8強で力尽きたが、夏は関西の好左腕・吉年(広島)に投げ勝つなど決勝まで進出。足のケガにも苦しめられたが、懸命の投球でチームを引っ張った。

これに対して、ライバル金沢で光ったのは何といってもエース中野の投球だろう。1993年春~1994年春まで3季連続で甲子園に出場。1993年は春夏とも初戦で散ったが、最終学年で迎えた選抜にて偉業を成し遂げた。

スライダーを軸にした投球で江の川打線を翻弄すると、自らタイムリーも放つなど3点のリードを奪う。気づけば、一人のランナーも許すことなく、最終回を迎え、最後も相手の攻撃を3人でシャットアウト。1978年の前橋・松本稔以来となる史上2人目の完全試合を成し遂げ、甲子園の歴史に大きな1ページを加えた。

【好投手列伝】石川県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第9位 和歌山県 5勝

1995年選抜1回戦 伊都 1-0 帝京 投手:道上→海堀

1996年選抜1回戦 智辯和歌山 3-0 鵬翔 投手:高塚

1996年選抜準々決勝 智辯和歌山 3-0 国士舘 投手:高塚

1997年夏準決勝 智辯和歌山 1-0 浦添商 投手:児玉→清水

1999年夏3回戦 智辯和歌山 2-0 尽誠学園 投手:井上

 

1990年台中盤に甲子園初勝利を挙げると、そこから一気に台頭してきたのが智辯和歌山であった。前年夏に続く連続出場となった1994年選抜でV候補を次々に撃破して初優勝を達成。高嶋監督も大きな手ごたえを得ると、2年後の1996年の選抜で再び躍進を見せた。

この大会の智辯和歌山は2年生主体のチームということもあり、珍しく打線が低調。チーム打率2割6分台となかなか打線が着火せず、高塚の好投に頼る部分が多かった。高塚は高めのストレートを振らせる投球で2完封を含む4勝を挙げて決勝に進出。しかし、連投により肩の故障が響き、その後は満足のいく投球はできなかった。

翌年夏、高塚をもう一度マウンドに挙げる目標を掲げたナインは、再び甲子園に姿を現す。高塚は初戦の日本文理戦で残念ながら打ち込まれてしまったが、エースを援護すべく鍛え上げた打線と堅守を武器にチームは順調に勝ち上がっていく。準決勝の浦添商戦は再三のピンチを堅守でしのぐと、延長10回に相手の好左腕・上間から主将・中谷(現智辯和歌山監督)がサヨナラ犠飛を放ち、1-0で勝利を収めた。

この大会で当時のチーム打率の記録を更新した智辯和歌山ナインは高嶋監督に初めての夏の栄冠をもたらした。1994年から2002年までの9年間で、智辯和歌山は優勝3回、準優勝3回と圧倒的な成績を残し、平成の常勝軍団の名をほしいままにしていくこととなる。

【好投手列伝】和歌山県篇記憶に残る平成の名投手 1/2 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

第9位 高知県 5勝

寺本四郎 | プロフィール・成績・速報・ドラフト・ニュースなど ...

1991年夏1回戦 明徳義塾 6-0 市岐阜商 投手:浦田

1994年選抜1回戦 高知商 6-0 那覇商 投手:松岡→東出

1996年選抜1回戦 明徳義塾 3-0 福井商 投手:吉川

1996年夏1回戦 明徳義塾 12-0 常葉菊川 投手:吉川

1998年選抜2回戦 明徳義塾 6-0 京都西 投手:寺本

 

平成に入って社会人野球・阿部企業を率いていた馬淵監督が就任し、明徳義塾が一気に台頭してきた。卓越した野球脳を持つ名将は、好投手を中心とした安定したディフェンスと確実性の高い攻撃で甲子園でも勝ち上がっていく。1996年にはサイド右腕・吉川(ヤクルト)を中心に春夏連続出場を果たし、春夏ともに完封勝利を達成。選抜では久々の8強入りを果たした。

その2年後には寺本(ロッテ)・高橋(ヤクルト)の2人の好投手を中心に、選抜で8強、夏は4強と結果を残す。ただ、馬淵監督が率いてから最強ともチームをもってしても最後は、選抜は中村監督が勇退するPL学園に、夏は松坂(西武)擁する横浜にそれぞれサヨナラ負けを喫して敗退。優勝へ向けての産みの苦しみを感じていた時期でもあった。

【好投手列伝】高知県篇記憶に残る平成の名投手 1/3 – 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

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