明徳義塾vs常総学院 2002年夏

2002年

初優勝への道を切り開いた逆転劇

2002年の選手権大会は春夏連覇を狙う報徳学園とその報徳学園に選抜で敗れた浦和学院が初戦で激突するという波乱の幕明けとなった。その浦和学院を2回戦で逆転した川之江を筆頭にこの大会は四国勢が好調。選抜では出場3校(鳴門工、尽誠学園、明徳義塾)がすべて8強入りし、この夏も3回戦まですべてのチームが勝ち上がっていた。

中でも3季連続出場中の明徳義塾は四国内でも頭一つ抜けた存在であり、ベスト16が出そろった段階で東の横綱・帝京と並んで優勝に最も近い存在と目されていた。そんな明徳の前に静かに立ちはだかったのが名将・木内監督が率いる前年選抜の優勝校・常総学院であった。

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明徳義塾は1990年代に馬淵監督が就任。社会人野球・阿部企業で培った経験をもとに、勝てる野球のノウハウをチームに落とし込む。1992年にはあの松井秀喜(ヤンキース)を5打席連続敬遠してバッシングにあうこともあったが、着実に強化の進んだチームは1998年にはあの松坂大輔(西武)擁する横浜をあと一歩まで追い込む死闘を見せ、過去最高成績となる4強入りを果たした。

しかし、その後は甲子園には出場するものの、なかなか勝ちきれない大会が続いていた。1999年夏は長崎日大に延長サヨナラ暴投で敗退、2000年夏はPL学園の質の高い攻撃に序盤から押し込まれて完敗、2001年夏には習志野の好投手・佐々木のフォークボールを攻略しきれず惜敗と3年連続で2回戦で姿を消していた。

力はありながらももう一つ勝ちきれない明徳だったが、その習志野との試合を経験した田辺-筧(オリックス)のバッテリーと3番ショート・森岡(ヤクルト)という軸になる3人が残ったこの年のチームへの期待は高かった。選抜では準々決勝の福井商戦でエース田辺を先発回避したことで初回に8失点を食らうも、相手エース中谷を攻めつけて終わってみれば8-10の惜敗。あの1998年に明徳相手に6点差をひっくり返した横浜の攻撃を思い起こさせる猛追であった。

その後、最後の夏に向けてチームは順調な仕上がりを見せる。期待の1年生梅田がサードのポジションを奪うと、1番には長打力のある山田が定着。チーム内競争は激しさを増し、練習試合では最終回に7点差を追いつく試合もあり、無敗で夏を迎えていた。

その夏の高知大会では準々決勝の岡豊戦で最終回の無死満塁をしのいで辛勝。その回の岡豊の先頭打者の長打はフェンス直撃であり、この年から球場改築でフェンスの高さが増したことでサヨナラ弾を免れていた。運も味方に付き始めた明徳義塾は甲子園本大会では酒田南、青森山田と東北勢を危なげなく下して3回戦に進出。エース田辺を強力打線が支え、ここまで盤石の戦いぶりであった。

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一方、常総学院は前年の選抜で悲願の全国制覇を達成。しかし、3年生が主力のほとんどを占めていたため、新チームに残ったのは2年生スラッガー横川(楽天)と小技のうまい好打者・三浦の2人のみ。再び戦力の構築を余儀なくされていた。

しかし、夏に向けて内田、飯島の右サイド2人と飯島と同じく2年生の左腕・磯部の3人の技巧派投手で投手陣はある程度固まり、打線も常総らしいスピード感のある攻撃が戻ってきていた。県大会決勝では好投手・長峰(中日)を擁する水戸商に序盤で1-6とリードを許すが、終盤にじわじわと攻めつけて終わってみれば9-7で逆転勝ち。2年連続の代表切符をつかみ取った。

本大会では2年生エース飯島が先発として躍動。初戦は同じく2年連続出場の宇部商が相手だったが、好投手・古谷から速攻で3点を奪うと、飯島はコントロールよく内外に投げ分けて山口大会を圧倒した宇部商打線を封じ込める。常総らしいテンポの良い守りで相手に攻撃のリズムを作らせず、最終回の反撃をしのいで3-2と快勝。スコア上は1点差だったが、試合がひっくり返るような感じはしなかった。

続く2回戦では1回戦に続いて右サイドの柳川・松崎が相手。県大会決勝で引き分け再試合を投げ抜くなど、球数が多くなっても粘り抜くスタイルが持ち味だったが、常総は初球・2球目から早い仕掛けで攻略する。この日初めてスタメン起用した2年生平野が2本のタイムリーを放つなど、素早い攻めで3点を奪取。決め球のシンカーを投じられる前にカウント球を狙い打ち、勝負を決めた。

1試合平均150球近くを投じていた松崎がこの日はわずか113球で完投、そして、初スタメンの選手が2本のタイムリー。相手の持ち味を消し、自軍の選手の潜在能力を発揮させるのが木内流。投打に目立った選手はいなくとも、なんとも不気味な存在の常総学院がひたひたと勝ち上がってきていた。

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土壇場で飛び出した2者連続ホームラン

2002年夏3回戦

常総学院

1 2 3 4 5 6 7 8 9
1 0 0 0 2 0 1 2 0 6
0 3 1 0 0 0 0 3 × 7

明徳義塾

 

常総学院  内田→飯島→磯部

明徳義塾  田辺

 

1,2回戦を盤石の戦いで勝ち上がった明徳義塾。しかし、懸念がないわけではなかった。2戦ともにタイムリーのヒット1本ずつと、主砲・森岡の調子が上がらない。馬淵監督が付きっきりで指導し、「お前が打たな勝てんのや」と期待を込められた森岡の活躍が今後の勝ち上がりの絶対条件であった。

一方、眠れる主砲を起こしたくない常総学院。試合前にも飯島は「要警戒は森岡さん」としており、彼の前にランナーを出さない投球が求められた。木内監督はここまで2戦とも飯島に先発を託していたが、この日の明徳戦はさすがに飯島一人ではどこかで捕まると判断したか、同じく右サイドで最上級生の内田をマウンドに送る。内田で行けるところまで粘って飯島で締めるのが描いていた勝ちパターンだっただろう。

また、この両校は1998年の選抜でも対戦しており、この時は明徳のエース寺本(ロッテ)が制球難で4失点するも、終盤に明徳打線が力攻めで5得点して逆転勝ち。今回も「剛」の明徳に対して、「柔」の常総の構図は同じであり、馬淵vs木内の名将対決第二ラウンドの火ぶたが切って落とされた。

試合は意外な男の一振りで幕を開ける。試合ごとに打順を大きく組み替える木内監督はこの日2番に三浦を起用。前年の選抜優勝を経験していた男は、明徳のエース田辺の甘めに入ったストレートを叩くと、打球はバックスクリーンへ飛び込むホームランとなって1点を先制。この年の常総らしからぬ力技の得点で一歩前に出る。

しかし、この1発が明徳の目を覚まさせてか、2回裏に先発・内田が早くもKOされる。経験・実績ともに十分な明徳打線は下位打線も強力。先頭で出た4番筧を犠打で送ると、1年生の梅田からパンチ力のある2年生山口、選抜では1番を打っていた泉元、セカンドで熾烈なポジション争いを繰り広げていた池田と4連打が飛び出し、一挙3点を挙げて逆転する。さらに3回には早くも引きずり出した2番手飯島からボーク、暴投を絡めて1点を追加し、4-1と序盤でアドバンテージを得る。

実力上位の明徳を相手にいきなり3点のビハインドを背負った常総だが、ここから飯島が試合を立て直す。持ち味の丁寧な投球でコーナーを丁寧に突けるようになると、それまで火を噴いていた明徳打線が鎮火。主砲。森岡との直接対決もことごとく制し、流れを徐々に常総に引き込む。

こうなると、明徳は試合巧者の常総のペースに知らず知らずのうちに巻き込まれる。この日はいつものコントロールが見られないエース田辺に対して、常総は5回に2アウトランナーなしから四球と長打でチャンスを作ると、県大会決勝では4番も務めた飯島が2点タイムリーを放ってたちまち1点差に。さらに、7回には1年生サード梅田にこのイニングだけで2つの失策が飛び出すと、またも飯島がセーフティスクイズを決めて同点に追いつく。

リリーフして4回以降無失点ピッチングの2年生エースが打席でも3得点に絡む活躍。攻守にテンポとスピード感のある常総野球を体現し、流れがどちらにあるかは火を見るよりも明らかであった。試合前に常総に対してあまり強さを感じていなかった主将・森岡も、対戦してみて初めてその底力を味わっていた。

8回表、常総は2番三浦と4番横川の優勝経験コンビがともにセカンドへの内野安打で出塁。受け身の明徳守備陣に対して嫌な打球が続く。2アウトとなるが、ここで三浦と代わった2番から6番に降格していた左打者の宮崎がストレートをレフト線に痛烈にはじき返す。ベンチからの指示でレフト線を詰めていた2年生沖田は懸命のダイブを見せるも、及ばずに打球はレフト線を転々。2者が脱兎のごとくホームを駆け抜け、常総がついに2点を勝ち越した。

4回以降すべての攻撃を3人で終わっていた明徳打線。8回裏も簡単に2アウトを取られ3人目の1番山田もサードゴロに。万事休すかと思われた矢先、常総のサード横川の送球がワンバウンドとなって1塁に走者が残る。まだ大したピンチには思えなかったが、気まぐれな甲子園の魔物が首をもたげ始めていた。

打席には先ほど打球を後ろにそらした2年生の2番沖田。そらしたとはいえ、積極的なプレーでの失敗であり、気持ち的には尾を引いていなかった。ただ、ベンチでエース田辺に凄まれていたそうで、なんとしても取り返さねばという危機感はあったそう。飯島のインサイド寄りのボールを思い切り引っ張ると、打球はライトポール際への起死回生の同点2ランに!馬淵監督も思わずガッツポーズをが飛び出した一発で、再び試合は振り出しに戻る。

続く打席には3番森岡。ここまで無安打と全くいいところがなかったが、打席に向かう雰囲気で馬淵監督は打ちそうだと感じていた。その初球は飯島としてはシンカーのつもりだったが、気落ちしていたせいかキレがなく、森岡はほとんどストレートに見えたそう。「甘く来たら振ります」の公言通りにバットを一閃すると、打球は打った瞬間にそれとわかる当たりでライト席中段に飛び込んだ。2者連続の豪快な連弾であっという間に試合をひっくり返し、それまで苦しめられていた飯島をマウンドから引きずり降ろしてしまった。

最終回、粘る常総はランナーを2人ためて不調のエース田辺を攻め立てる。しかし、最後は三盗を狙ったセカンドランナーを捕手・筧が好送球で刺してゲームセット。最後まで熾烈を極めたシーソーゲームをものにし、明徳が大きな大きな1勝を手にベスト8へ名乗りを挙げた。

まとめ

ここまで快勝続きの明徳だったが、ここで常総との熾烈な攻防を制したことでチームに勢いがついた。劇的な一発で目を覚ました森岡は準々決勝以降の3試合で7安打8打点と爆発。エース田辺もアウトコースへの制球力を取り戻し、以降は危なげない投球で優勝まで導いた。バッシング、大逆転負けなどこれまでヒールのイメージが強かった四国の雄が、優勝への大きな足掛かりをつかんだのがこの常総戦であった。

一方、常総もさすがの試合運びで明徳に大善戦。個々の能力だと、この年に関しては明徳にだいぶ分があったが、それでもこれだけの接戦に持ち込めるのが常総の強さであり、野球の面白さであった。悔しさをばねにした飯島は続く2003年はリリーフエースとして大活躍。強打の智辯和歌山やダルビッシュ有(パドレス)を擁した東北など、強豪に次々競り勝って、念願の夏のタイトルを手にしたのだった。

2002【熱闘】明徳義塾vs酒田南 – YouTube

↑ 明徳義塾vs常総学院の動画です

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