池田vs早稲田実 1982年夏

1982年

アイドルエースを打ち崩したやまびこ打線

1982年の夏の甲子園は大会前、早稲田実、中京、池田の3強と言われており、大会が始まるとこの3校が下馬評通りに8強へ勝ち上がってきた。準々決勝第1試合で中京がエース野中(阪急)の好投で津久見を下し、そして第3試合で早稲田実と池田の2校が直接待決を迎えた。

あの夏の早稲田実×池田 荒木大輔の「偶像」、一発で破壊した ...

早稲田実はエース荒木大輔(ヤクルト)を中心に5季連続の甲子園出場。1年夏にナチュラルシュートする速球を武器に、44イニング無失点と快投を演じたエースも最後の夏を迎えていた。ストレートの球質は球速が付くとともに純粋なフォーシームに近づいていたが、その分、カーブの制球とコントロールは増し、全国でも上位クラスの実力者だったのは間違いないだろう。

2年夏は報徳学園・金村(近鉄)、3年春は横浜商・三浦(中日)と好投手相手に敗れていたが、最後の夏は同じく5季連続出場の主将・小沢とともに有終の美を飾るべく臨んでいた。初戦は荒木自身のホームランなどで宇治に12-0と快勝を収めると、続く2回戦も星稜に10-1と大勝。3回戦は当時新鋭校の東海大甲府打線に荒木が捕まり、1番杉村にホームランを浴びるなどして一時3点差を追いつかれたが、2年生主砲・板倉の勝ち越しホームランで再び突き放し、6-3で難敵を下す。

これまでエース荒木を打線が援護しきれずに敗れるパターンが多かったが、主砲・板倉を中心に打線も好調を維持。自分たちで考え、自主練習で力をつける早稲田実の良さを体現したチームであり、最後の夏の優勝へ向け、待ったなしといった感じであった。

大会No.1投手(1980年夏) 荒木大輔(早稲田実) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

一方、池田は1974年選抜に爽やかイレブンで準優勝を果たすと、すっかり強豪校の仲間入りを果たし、1979年には橋川-岡田のバッテリーで選抜8強、夏は準優勝と結果を残していた。そして、彼らと入れ代わりに入学した畠山(横浜)をエースに据えたチームは、5季連続で甲子園を目指せるのではと蔦監督も期待を寄せる力を持っていた。

ところが、ここから池田の出場はぱたりとやむ。大事な場面で小技に頼って敗退を繰り返し、選抜を目指した秋の四国大会の明徳戦でもスクイズを失敗して0-1と敗退。練習では打撃メインで鍛え上げながらも、試合になると勝負弱い顔を見せていた。この状況に蔦監督もついに小技を封印することを決断。やまびこ打線と呼ばれた強打を全面に出し、最後の夏は決勝の徳島商戦に競り勝って、ラストチャンスをものにした。

大会が始まると、得点数こそ5点、4点、5点とさほど目立ったものではなかったが、池田打線のスイングの強さはやはり凄まじいものがあった。エースで4番の畠山を2年生の江上・水野(巨人)のコンビが囲んだ中軸の威力はもちろん、ラストバッターながら2試合連続のホームランを放った9番山口まで全く活きの抜けない打線を形成。3回戦で対戦した都城の変則右腕・中島も「すごい打線」とシャッポを脱いでいた。

大会No.1投手(1982年夏) 畠山準(池田) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

大会No.1投手(1983年選抜) 水野雄仁(池田) | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)

花開いた攻撃野球

1982年夏準々決勝

早稲田実

1 2 3 4 5 6 7 8 9
0 0 0 0 0 2 0 0 0 2
2 3 0 0 0 2 0 7 × 14

池田

 

早稲田実  荒木→石井→荒木

池田    畠山→水野→畠山

さて、アイドル的人気を誇るエースと四国の田舎町から出てきた公立校の対戦。試合前、池田ナインは「帰り支度」をして出てきたと言い、最後の夏に8強まで進んだということで、ある程度ノープレッシャーで臨むことができていただろう。一方、荒木も池田打線のスイングを見て、「とても勝てないと思っていた」と後年語っており、互いに相手の力をリスペクトしながら試合に臨む格好となった。

試合前の予想は、早稲田実有利の声が多い中、優勝候補同士の一戦は幕を開けた。立ち上がり、畠山は1番小沢にヒットを許すも、盗塁失敗の三振ゲッツーなどで早実の攻撃を3人で片付ける。豪快なフォームから繰り出す快速球を武器に力で早稲田打線を抑え込む。

すると、1回裏、池田打線が早くもその威力を発揮する。

1アウトから2番多田がサードゴロエラーで出塁。続く3番江上は荒木大輔のカーブを狙い、打席内でスイングを繰り返す。相手の決め球を攻略しなくては先が見えないと踏んだのだろうか。すると、そのスイングに合うようにおあつらえ向きの高めのカーブがやってくる。これを大根切りのように江上がたたいた打球は、甲子園ファンの歓声と女性ファンの悲鳴が交錯する中、ライトスタンドへ着弾し、池田が2点を先制。「荒木大輔、鼻つまむ!」の実況の中、江上がホームを踏みしめる。

2回に入っても池田打線の勢いは止まらない。普段から畠山、水野と超高校級のエースのボールを練習で打ち込んできた実力をいかんなく発揮する。荒木のスピードボールは並の打線なら苦戦するが、池田打線は丁度よいと言わんばかりに打ち返していく。

2回裏、8番木下の痛烈なヒットなどで1アウト1,3塁とすると、ここで蔦監督は当たっている9番山口にスクイズを指示。これがまんまとはまって1点を追加すると、さらに満塁となって打席には2番多田。早実バッテリーはアウトコースのボール球を懸命に振らせようとするが、多田はこれに手を出さない。たまらず速球が甘く入るとこれをものの見事にとらえた打球は、レフトの頭上を破り、2者が生還。2回で早くも5点の差がつく。

反撃したい早稲田打線だが、畠山の威力のある速球の前になかなか快音が響かない。ここまで大会でホームランを放っていた板倉(大洋)や上福元(巨人)といった2年生スラッガーも球威に押され、畠山が先輩エースの貫禄を見せる。6回表に失策がらみで2点を返すも、走塁ミスでランナーがタッチアウトになるなど、早稲田実らしいそつのなさも影をひそめる。

すると、6回裏、池田打線が3回以降踏ん張っていた荒木を再び捕まえる。1アウトから3番江上が高めのストレートにちょこんと合わせてテキサス性のヒットを放つと、2アウト後に5番水野が驚愕の一打を放つ。荒木のアウトコース寄りの速球を力強く振り抜くと、打球はセンターバックスクリーンに悠々と飛び込む打球となる。140メートル級とも思われる打球を、しかも大会最注目のエースから放ったのだから、球場は騒然とした雰囲気になった。

早稲田実は荒木をあきらめ、2番手で石井丈(西武)を送る。のちに沢村賞を獲得する速球派右腕だが、これも池田打線は攻略する。8回裏、打者一巡の猛攻を見せ、とどめは水野のこの日2本目となる満塁弾で完全に勝負あった。優勝候補同士の対戦がこうも一方的な展開になるとは思いもしなかっただろう。球場は何か悲劇的な雰囲気にもなってしまっていた。

畠山は大量リードを背に悠々と投げ抜き、途中で一時的に水野にマウンドを譲ったものの、早稲田実打線を4安打2点に封じ込めた。注目の好カードを制した池田が初優勝へ向けて大きな弾みをつけた一戦となった。

 

池田はその後、準決勝では8番木下に決勝2ランが飛び出して東洋大姫路に勝利すると、決勝は機動力の広島商を強打で一蹴。初回6得点の猛攻で早々と勝負を決め、12-2と大差で悲願の初優勝を飾った。攻めだるまの異名を取った蔦監督の作り上げた最高傑作のチームが、64度目の夏の甲子園を力強く勝ち抜いたのだった。

一方、早稲田実は思わぬ大敗を喫したが、早実ナイン自身はどこかサバサバとしていた。池田のパワーを目の当たりにし、クレバーだけでは勝てないということを感じていたのかもしれない。

ここから早稲田実は斎藤佑樹の活躍で初優勝を果たす2006年までの24年間で春夏1回ずつしか甲子園へ出場できなかった。東東京時代は帝京の全盛期とかぶり、西東京に移ると今度は日大三の黄金期に鉢合わせるという不運もあった。

しかし、やはり昭和後半から平成初期にかけて夏の甲子園の熱さが増す中で、スパルタ式に体力強化を図る学校が強くなっていたのは否めないだろう。そんな中、早稲田実や履正社のような通いの選手主体の学校が強くなってきたのは、携帯電話の普及などで情報が出回るようになり、各人でも食事面などでしっかり自己管理をしやすい社会になったことが影響していたように感じる。2006年以降、再び全国常連となった早稲田実は今、再びその輝きを取り戻している。

【池田高校】全国を席巻したやまびこ打線が早実の荒木大輔を襲う!【高校野球】 – YouTube

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