甲子園では各地区ごとに好不調が如実に表れるのが、見ているファンにとって興味を引くところだ。好調な地区では、一度勝ちだすと、地区内で「うちが一番先に負けられない」との意識が出てきて、簡単には負けなくなる相乗効果を生み出すことがある。そんな相乗効果で各地区ごとに無双状態になった大会は何年の大会だったが、振り返っていきたい。第5回は東海地区。
第91回大会(2009年)
菊池雄星(ブルージェイズ)擁する花巻東の東北勢初優勝への挑戦に注目が集まった2009年の選手権大会。そのほかにも日大三・帝京の東西の東京代表や名門・PL学園、伊予ゴジラの異名を持つ秋山(阪神)が投打の中心の西条、九州の怪童こと今宮健太(ソフトバンク)が引っ張る明豊などに注目が集まっていた。そんな中、大会が始まると、好調だったのは、戦前からの名門校や初出場校など多彩な顔ぶれをそろえた東海勢だった。
中京大中京(愛知代表)
1回戦 〇5-1 龍谷大平安
2回戦 〇5-4 関西学院
3回戦 〇15-5 長野日大
準々決勝 〇6-2 都城商
準決勝 〇11-1 花巻東
決勝 〇10-9 日本文理
過去春夏合わせて10度の甲子園出場を果たしていた全国屈指、というか全国一と言って差支えのない名門・中京大中京。大正から昭和にかけて数々の名勝負を演じて、高校球界の中心的存在であった。しかし、時代が平成に入ると、東邦・愛工大名電などの私学4強のライバルの躍進、愛産大三河・愛知・豊田大谷・豊田西など新興勢力の台頭もあり、甲子園優勝はおろか出場すらできない時期が続いていた。
そんな中、若き指揮官・大藤監督が就任して再び強化を図ると、1997年のセンバツではエース大杉を擁して準優勝を達成。名門復活を高らかに告げると、2004年はエース小椋を中心に下級生主体のチームが躍動。浦和学院など強豪をねじ伏せ、ベスト8入りを果たした。その後も名電・東邦などどつばぜり合いを繰り返しながら、2008年の選抜では再び2年生主体のチームで甲子園に出場。明徳義塾にサヨナラ負けを喫し、初戦敗退に終わったものの、主将・山中や河合・堂林(広島)と多くの主力が残った新チームの期待値は非常に高かった。
秋の東海大会を制すると、神宮でこそ、エース堂林の先発を回避した影響で天理に大敗したものの、選抜大会では安定した強さを発揮。初戦で神村学園に5-1と完勝を収めると、2回戦では開幕試合で乱戦を制した倉敷工に追い上げを許すも、6-5と競り勝ってベスト8入りを果たした。しかし、準々決勝では報徳学園を相手に9回2アウトまでリードを許しながらも、4番西郷に逆転打を浴びて、6-5と敗戦。同じ10安打ずつながら長打の数は中京が6に対して、報徳は0。選手個々のポテンシャルでは中京に分があるのは明らかだったが、またしても関西の常連校の前に屈する格好となった。
しかし、精神面も鍛えて臨んだ夏の愛知大会では強豪がひしめく中をほとんど危なげなく勝ち上がり、春夏連続出場を果たす。エース堂林に加えて、2年生右腕・森本が成長し、捕手も急成長した2年生・磯村(広島)がマスクをかぶったことで、正捕手で打力も高い柴田を外野で起用できるようになった。2009年は優勝候補が乱立していたこともあり、中京に過度なマークが集中することもなく、心地いい緊張感のもとで大会は幕を開けた。
迎えた初戦の相手は同じく伝統校の龍谷大平安。過去に何度も甲子園で対戦してきているチームだが、本命視されていた福知山成美を逆転サヨナラで下してきており、不気味な存在であった。
だが、試合が始めると、中京打線は2回に平安の先発左腕・縄田をとらえ、一挙5点を挙げてKO。この試合の得点はこの5点のみだったが、大量点の起点となった6番伊藤のセンター越えの2塁打は平安のセンター妻鳥の頭上を、予想をはるかに超えるスピードで抜けていった。この打球を6番打者が放ったところに中京打線の恐ろしさが垣間見えた。また、中京ナインはあえて1サイズ小さいアンダーシャツを着ており、各打者の体格が実際以上に筋骨隆々に見えていた。8番の金山も他校なら中軸を打つような体格をしており、試合前の整列から相手チームは圧倒されたことだろう。
まずは無難に初戦を突破した中京。しかし、2回戦で難敵が待ち構えていた。久々の甲子園出場を果たした地元・兵庫の関西学院である。初戦は県大会無失点の酒田南のエース安井を攻略しており、打線は好調を維持。投げては捕手からリリーフでマウンドに上がる山崎裕が頭脳的な投球で相手打線を翻弄する。選抜で敗れた報徳と同じ地元・兵庫勢へのリベンジに燃える中京ナインだったが、試合は一進一退の攻防となり、最終回についに同点に追いつかれてしまう。だが、直後の9回裏に中京打線で最も頼りになる3番河合が高めの失投を逃さずに左中間に叩き込んでサヨナラ勝ち。この苦しい試合を乗り越えたことは非常に大きかったといえるだろう。
続く3回戦では長野日大を相手に初回に5点を先行するも、じりじりと追い上げられて中盤についに同点に追いつかれる。またもや苦しい内容になるかと思われたが、6回裏に2番国友のスクイズと3番河合の長打で4点を勝ち越し。1,2回戦と打線のつながりがもう一つだったが、中盤以降に大量10点を勝ち越したこの試合を機に中京打線が一気に波に乗った。
準々決勝は、都城商の本格派右腕・新西から5番磯村が先制3ランを放ち、6-2と危なげなく完勝。準決勝では大会前から最注目だった菊池雄星擁する花巻東に対し、相手の故障もあったとはいえ、4ホームランを放ち、11-1と大差で好カードを制した。エース堂林も低めへの制球がさえ、落ち着いた内容で試合を作るようになっていった。
そして、最多7度目の優勝を狙った決勝は強打の日本文理と激突。2-2と互角の展開で推移した試合は中盤6回に中京打線がつながり、一挙6点を勝ち越す。9回表を迎えて10-4と大量リードを奪った中京はエース堂林を優勝のマウンドへと送った。ところが2アウトランナーなしから高校野球ファンなら誰もが知っているであろう、あの日本文理打線の猛攻が始まった。1番から7番まで一人もアウトになることなくつながった攻撃は中京をついに1点差まで追い詰めていた。
しかし、最後は8番若林のサードライナーが河合のグラブに収まり、中京が7度目の全国制覇を達成。野球の怖さを存分に味わい、涙したエースで4番の堂林を中心に、蓄えてきた力をしっかり発揮した愛知の名門が久々に全国の頂点に立った夏であった。
中京大中京vs日本文理 2009年夏 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
【好投手列伝】愛知県篇記憶に残る平成の名投手 2/3 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
県岐阜商(岐阜代表)
2回戦 〇14-6 山梨学院大付
3回戦 〇6-3 PL学園
準々決勝 〇6-3 帝京
準決勝 ●1-2 日本文理
1983年夏に岐阜第一が8強入りして以降、全国上位が遠のいていた岐阜県勢。4度の優勝経験を持つ、戦前からの名門・県岐阜商は、甲子園出場をこそ重ねていたものの、なかなか甲子園で結果を残せない年月が続いていた。しかし、県を挙げての高校野球強化に協力した岐阜県の計らいもあり、2006年選抜では岐阜城北が選抜4強入りを達成。2007年には大垣日大が希望枠で出場した選抜で準優勝を果たすと、同夏は県勢として久しぶりの8強入りを果たし、岐阜勢の復活を印象付けた。
そんな中、岐阜城北を率いて選抜で結果を残した藤田監督が2009年に母校の県岐阜商に就任。県内に活気があふれてきた状況下で、これまで県の高校野球を引っ張ってきた名門も遅れをとるわけにはいかなかった。藤田監督の指導の下、「できることをきっちりやる」基本に立ち返ったチームは、雨中での激闘となった準決勝・中京戦でも集中力を失わずに戦い抜き、エース山田を中心に一丸野球で3年ぶりの夏の甲子園に帰ってきた。
その甲子園初戦、いきなり県岐阜商の強さが発揮される。1番主将の松田がヒットで出塁すると、2番藤田のバスターに重盗も絡めてチャンス拡大。ここで5番江崎の先制打が飛び出すと、さらに2ランスクイズ、そして締めはエース山田自らの2ランホームランと、まさにやりたいことのすべてがはまった攻撃で初回7得点をたたき出す。山田は大量リードを背に悠々と投げぬき、14-6と大差で5大会ぶりの初戦突破を果たした。そして、ここから県岐阜商の快進撃が始まっていく。
続く3回戦は名門・PL学園が相手。過去2度の対戦ではいずれも敗れている因縁の相手だが、この日は県岐阜商が先手を取る。1回裏、初戦の2回戦に続いて3番江崎が先制のタイムリー2塁打を放って先行すると、PLの左腕・井上の緩急に惑わされることなく、着実に得点を重ねる。後手に回ったPLがシートノックの時から守乱が見られ、エラーで失点したのとは対照的に、エース山田を中心に県岐阜商はきっちりとれるアウトを積み重ねていく。好打者揃いのPL打線に対し、山田は自らの2試合連続弾などで挙げた得点を、140キロ台の重い速球を武器に守り抜き、6-3と快勝でベスト8入りを決めた。
続く準々決勝では、東の優勝候補・帝京と激突。3回戦で九州国際大付とのV候補対決に勝利し、勢いに乗る相手であった。特に1年生史上最速の148キロをたたき出した右腕・伊藤拓(DeNA)はその勢いを象徴する存在であった。しかし、この1年生右腕から県岐阜商は3回に代打・横山がタイムリーを放つなど、一挙4点を追加する。若い帝京の選手に対し、経験豊富でしたたかな県岐阜商の攻撃陣が攻略した印象だった。山田は強打の帝京だ戦に2桁安打を許しながらも、再び3失点で完投勝ち。東西の優勝候補を打倒し、ついに4強までコマを進めた。
準決勝では日本文理のエース伊藤のチェンジアップをとらえきれず、最終回まで0-2とビハインドを背負う。しかし、最終回に代打・古川のタイムリー2塁打で1点を返し、最後まで伝統校の意地を見せつける。最後は、1点届かずに惜しくも決勝進出はならなかったが、エースを中心にきっちり守るディフェンスと相手のスキをついて大量点に結びつけるオフェンスがかみ合ったこの夏の戦いは見事であった。この年を機に、県岐阜商は再び甲子園で勝てるチームへと変貌していくこととなる。
【好投手列伝】岐阜県篇記憶に残る平成の名投手 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
常葉橘(静岡代表)
1回戦 〇2-0 旭川大高
2回戦 〇7-6 高知
3回戦 ●6-8 明豊
2007年選抜から2008年にかけて4季連続出場を果たし、甲子園でも旋風を巻き起こした常葉菊川。しかし、2008年の春季大会では当時2年生エースだった庄司(広島)を擁する兄弟校の常葉橘に敗戦を喫していた。兄弟校が甲子園で結果を残すなかで、着々と力をため込んだ常葉橘は、2009年夏エースで3番の庄司と、2年生にして正捕手兼4番を務める牛場のバッテリーを中心に静岡大会を力強く勝ち上がってきた。
初戦は北の奪三振王・柿田を擁する旭川大との対戦。緊迫した投手戦となった試合は、初回に2番小泉・3番庄司の長短打で挙げた1点のみで進行していく。こういう展開では得てして追われる方にプレッシャーがかかるものだが、庄司は躍動感あふれるピッチングで失点を許さない。7回裏に犠飛によって無安打で1点を追加した常葉橘がしたたかさと力強さを兼ね備えた野球で、まずは聖地初勝利を挙げた。
続く2回戦は2度にわたる降雨ノーゲームの末に如水館との強豪対決を制してきた伝統校・高知。公文(巨人)-木下(中日)とともにプロ入りしたバッテリーを擁する手ごわい相手だったが、この試合で常葉橘は強気の姿勢を貫く。2回裏、6回裏とともに4番牛場のヒットを足掛かりに強攻策を続け、3点・4点とビッグイニングを上げる。好投手相手に1点ずつ確実に取りに行くかとも思われたが、各自がストレートかスライダーか狙い球をきっちり絞り切り、必ず打てるという自信のもとにとらえていった。終盤の高知打線の反撃を庄司がなんとかしのぎ切り、7-6で初出場ながらついにベスト16まで勝ち進んだのだった。
そして、3回戦は明豊とこれまた大会を代表する好試合を展開する。九州の怪童・今宮と庄司の対決が注目されたが、試合は中盤に常葉橘打線が明豊の好左腕・野口を捕まえ、6-2と大きくリードする。このリードを守りたい常葉橘だが、明豊もこの年の西日本では最強クラスの戦力を有するだけあって簡単には譲らない。今宮が確実に庄司の速球をとらえて点差を詰めると、8回表には代打・寿の2点タイムリーでついに1点差に。緊迫の展開の中、運命の最終回へ突入していく。
9回表、明豊は先頭の2番砂川が3塁打を放ち、常葉橘バッテリーは絶体絶命のピンチに追い込まれる。しかし、強気が売りの庄司と常葉橘は3番今宮にストレートで真っ向勝負を挑む。観衆がかたずを飲んで見守った好勝負は、今宮のライト前タイムリーで明豊が同点に追いついたが、常葉橘バッテリーに後悔の念はみじんもなかった。延長12回に明豊の好走塁で勝ち越しの2点が入って試合は決したが、初出場でV候補を相手に互角の試合を演じた常葉橘の戦いは非常に鮮烈であり、好調・東海勢を象徴するチームであった。
【好投手列伝】静岡県篇記憶に残る平成の名投手 2/2 | 世界一の甲子園ブログ (kosien.jp)
三重(三重代表)
1回戦 〇5-4 熊本工
2回戦 ●3-8 都城商
かつては、三重の選抜優勝、四日市の選手権優勝など全国を沸かせた三重県勢。しかし、平成初期に2度の夏8強入りを果たした強豪・海星が甲子園から遠のいてからは、なかなか勝てない時代が続いていた。1998年夏の海星の勝利を最後に2008年の菰野まで10年連続で初戦敗退。その間、1999年度の海星の選抜8強や2000年度の四日市工の神宮優勝などもあったが、こと夏に関してはとにかく勝利が遠かったのだ。
だが、そんな歴史にもついに終止符が打たれる時が来た。2009年度の三重は2年生の技巧派左腕の増田と松田、そして3年生の守護神・牧田の3本の矢を、野呂・宮武ら左の強打者が中心の打線が援護し、三重大会を3年ぶりに制覇。甲子園初戦の相手は奇しくも、その3年前に敗れた熊本工であった。3年前は好投手・梅村(オリックス)が序盤に熊本工の強力打線につかまり、相手の3倍となる15安打を浴びながら4-6と敗退。悔しすぎる敗戦を見て入学してきた3年生たちが先輩のリベンジに燃えていた。
試合は、初回に熊本工打線が2年生左腕・松田をとらえて2点を先行するも、直後の1回裏にすぐ主砲・宮武、好調の5番橋本の連打でひっくり返す。熊本工は2年生左腕・月田が、三重はリリーフの3年生右腕・牧田が踏ん張り、同点のまま試合は最終回に進む。9回表に熊本工が犠飛で1点を勝ち越すが、その裏、三重は2アウトから5番橋本が右中間を破るタイムリー2塁打を放ち、起死回生の同点劇を見せる。あとアウト一つの窮地から生き返った三重は10回裏、熊工の2番手左腕・池田から9番土井がレフトへタイムリーを放ち、サヨナラ勝ち!長い連敗の歴史をついに抜け出す劇的な勝利を飾った。
2回戦は、投打に充実する都城商と対戦。中盤までは野呂のホームランなどで互角の展開に持ちこんだが、中盤に相手打線の分厚い攻撃を継投でかわし切れずに大量失点を喫した。打線は好投手・新西から長打3本を含む8安打を放ったが、つながりを欠き、3点どまりに終わった。しかし、連敗ストップを果たした、この年の戦いはたしかに三重県勢の流れを変えたといえるだろう。2014年に選手権準優勝、2018年選抜で4強と着実に実績を残す三重高校が、時代が令和に移っても、三重県勢を引っ張る存在となっているのは間違いないだろう。。
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